据え膳
「何が不満なんですか。早くして下さい」
凄んで伊作が問えば、男は怯んだように距離をおく。二人だけの医務室がやけに広く感じられた。
「えっ、ちょっと待って。そんなに近づかないでよ。っていうか、本当にいいの?」
「雑渡さんがいいんです」
「君が傷つくかもよ。それでもいいの」
一瞬、夜が深くなったような気がした。不安が闇と一緒に這い上がってくる。伊作はそれを振り払おうと自らの両頬を叱咤する。この人ならいいと思った。何を言われてもどんなことになっても。傷ついてもいい。とにかく本音でぶつかってきて欲しかった。
伊作は深くうなずいた。
「もう、決めたことですから」
「わたしが初めてなんでしょう。何か、緊張するなあ」
伊作は興奮気味の鼻息がかかるほど、雑渡ににじりよった。
「いきなり呼び出した上に、こんなお願いして申し訳ないとは思いますが。でも雑渡さんしかいないんです。あなたの答えが知りたいんです。今すぐに」
切迫した表情の伊作を見て、雑渡は一つ咳払いをした。
「まあ、伊作くんにそこまで言われて言われっぱなしっていうのもねえ。据え膳食わぬは男の内じゃないってのもあるしね。では、遠慮なく」
そう言うと、雑渡は至極まじめな顔を伊作に向けた。視線が合うと、無骨な手がしなやかに伸びてきた。伊作はごくり、と生唾を飲み込んだ。いよいよなのだ。いよいよ、その時が来たのだ。今にも張り裂けそうな胸を押さえた。
じっくり準備をしてきたわけじゃない。急支度といってもいい。もっとちゃんとした場所で……。いろいろと考えは巡るけれど、とにかく時間がないのだ。
目を血走らせるようにして伊作が見守る中、雑渡は静かに箸をおいた。床には様々な料理の盛られた椀や鉢がずらりと並んでいる。
「味はまあまあだけど……。それにしても何なのこのメニュー。しゃっくり定食に茶碗水虫。ひどいセンス」
「そうですかあ? まさか雑渡さんに不評を買うとは思わなかったです。ぼくとしてはすごくイケてると思うんですけど」
「若い人の考えることは分からんよ」
そんなことを言いながら、雑渡は茶をすすった。それではまるで自分が老いていると言ったも同然ですよ。伊作はぐっと笑いをこらえた。だってこんなに夜遅くにわざわざ来てくれた人に対して、あまりにも失礼じゃないか。伊作はぽっかりと浮かんだ月を眺めた。
「でも、雑渡さんに初試食をしてもらえるなんて光栄です。子供の口に合うものと大人の口に合うものってやっぱり違うじゃないですか。だから、どうしても色んな世代の人の意見が聞きたくて。ああ。なんだかうまくいく予感がしてきた」
近く忍術学園の文化祭が開催される。そこで伊作の所属する保健委員会も模擬店をすることになったのだ。後輩たちと相談して、保健委員会らしく薬草を使った薬膳料理屋さんを開くことに……そこまではよかったのだ。そこまでは。メニューも決まりさあ後は試食のみ、という段階で問題が起こった。保健委員会を危険視する生徒たちが試食を拒んだのだ。まあ、保健委員会の事情を知っていたのなら当然といえるかもしれないが。
――なんだよ。ちょっと使用期限切れの薬草を使ってるだけじゃないか。
思い出したらなんだか腹が立ってきた。
静かに怒りをたぎらせていた伊作に向かって、雑渡はさらなる追い討ちをかけた。
「うまくいく予感ねえ。でも油断禁物だよ。大体、幸運食堂っていうところからしてどうかなあ。だって君たち不運委員会でしょ。いやな予感がムンムンするよ」
「えーヒドイ。でも不運だからこそですよ。不運を吹き飛ばすように幸運! それに不運食堂じゃ誰も来てくれないと思いますよ」
「それもそうか」
雑渡が笑うのにつられて、伊作も笑った。
「文化祭、招待されているのでしょう? ぜひ、幸運食堂にも来てくださいね」
「模擬店メニューより伊作くんを試食したかった……って痛い痛い。わわっ、箸っ箸っ! 危ないから刺さないで」
羞恥で頬を赤くした伊作の後ろで、秋の夜は更けていくのだった。
終わり
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