朱い鬼灯 (タソガレドキ)
朱い鬼灯―あかいほおずき―
視界が眩んだ。薄暗い森が揺れているように見える。晩夏特有の蒸された風がゆっくりと過ぎていく。尊奈門を取り囲み、よからぬ事をたくらんでいるような風だった。
――ぬかったな。
腹の辺りを押さえながら、尊奈門は自嘲的な笑いを浮かべた。手にはべったりとした嫌な感触が残っていた。 そんなことを確かめている間にも意識はますます現実から遠のいていく。
きっと組頭も哂うだろう。この醜態を悪意なく哂うだろう。きっとそうだ。そうでなくてはいけない。タソガレドキ忍者隊の頂点として、やすやすと労いの手など差し伸べてはならない。雑渡昆奈門とはそうあるべき星の元に生まれた男だ。
「忍びは使い捨てだよ」
いつだったか組頭に言われたことがあった。
「はあ」
せんべいをかじりながらだったので随分と間抜けな返事をしたものだと思う。だって、お茶の時間だったし。
「使い捨て、ですか。そうですね。そうかもしれませんね」
厳しい世界だということは重々承知していた。必要とあらば仲間を裏切り見捨てることもある。我々忍びはただの駒にすぎないのだから。
「だからやりたいことはやっとかなくちゃいけない。いつ自分の人生の終わりがくるか分からないからね」
なるほど。そうきたか。
尊奈門はじろりと上司を睨んだ。
「お言葉ですが組頭。それは無断外出をする理由にはなりませんよ」
「あ、バレてた?」
「なにが、バレてた? ですかっ。どうせまた忍術学園にでもちょっかいかけに行ってたんでしょ。しつこい男は嫌われますよ」
「そんなに怒んなくても。ひょっとして嫉妬?」
「んなわけないでしょうっ」
尊奈門は湯飲みを卓に叩きつけた。横座りする上司に向かって吼える。
「まったく、いい加減にしてくださいよ。それに何なんですかその荷物は。一銭にもならない土産まで貰ってきたんですか」
雑渡の横に置かれた植物の束らしきものに目をやる。腕くらいの長さの茎に朱色をした物体が等間隔についていた。
「ああ、これ。鬼灯だよ。伊作くんがさあ。あ、伊作くんって忍術学園の六年生で保健委員長なんだ。薬草とか医術にすごく詳しくて――」
「知ってます」
そっけない言い方の尊奈門に若干ひるみつつ、話をつづける雑渡。
「薬になるのは鬼灯の根だけだっていうからさ。もうすぐお盆だし、飾ろうと思って貰ってきたんだ」
盆になるからってなんで鬼灯を飾るんだろうか。
部下のそんな疑問を読み取ったらしい雑渡が言った。
「鬼灯のこの朱色に膨れた部分って提灯に見えるだろ」
「まあ、言われてみれば」
「お盆に帰ってくる霊が目印の明かりにするんだって。だから飾るんだ。迷子にならずにちゃんと帰ってこれますようにって」
へえ。と尊奈門はすっかり納得した。
「はじめて組頭のこと、感心しましたよ」
「お前、実は私のこと嫌いだろ」
頬を膨らます雑渡に、思わず笑ってしまった。まったくどちらが年嵩やら。
「ちゃんと仕事してくださいね。じゃないとおやつ抜きですよ」
「な、なんという恐ろしい仕打ち。尊くん、本当に人間?」
大げさな。
「ふーんだ。ちゃんと日が暮れる前に帰ってきたんだから許してよ」
そう言って、組頭は逃げて行ったっけ。
薄れゆく意識の中でそんなことを思い出した。まさに今、尊奈門自身が使い捨てになろうとしているのだ。そう考えるとなんだか笑えてきた。なんとも間抜けだった。
自分の荒い呼吸が耳の中でこだましている。一歩を踏み出そうとした足が崩れた。地に体を叩きつけるように倒れた。
当たり前のように覚悟していた最期ではあった。しかしあまりにもあっけない。草いきれの中、こんなものかと思った。忍びをまっとうするとはこんなものか。笑いたいのに笑えなかった。そのかわりに頬が濡れていた。
薄暗い視界のなかで一瞬、強い色が見えた。ふっくらとした小さな朱色が五つばかり見える。鬼灯だった。
導かれるように必死に地を這った。鬼灯に手を伸ばす。小さな朱色が手に触れた。たまらなくなった。あの頼りにならない無断外出ばかりする上司に会いたくてたまらなくなった。もう、あの人に小言を言うことすら出来ない。そのうちにだんだんとその朱色が大きくなっていくように見えた。
「ああ、とうとう幻覚まで見える。彼岸からお迎えが来たかな――」
そう思い目を閉じた尊奈門の耳に、聞きなれた声が響いた。
「よく戻ってきてくれたね。おかえり、尊奈門。さあ、一緒に帰ろう」
安心したのか、そこからはふつりと記憶が途切れてしまった。
ただ、朱色が目に焼きついて離れなかった。生きたいと思った。帰りたいと思った。
そう。いつでもあなたのお傍におります。いつでもあなたの元へ帰ってきます。だから目印を。何度でもよみがえるためのともしびを。
終わり
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